映画観すぎ

そもそも、ほんの数年前までは、映画など「ぜいたく」で、ビデオを借りて家で見れば満足し、映画館など4年に1回(オリンピックかよ!)行けば良い方であったのですが…
実家を出て、現在は14インチのテレビしかなく、PCを新調してDVDを観れば、早送り・巻戻しをするたびにフリーズするダメPCだった…という環境であるため、映画館で映画を見るようになったのです。
それはまあ、ともかく、また映画を観てきました。


◆ゾンビーノ http://zombino.jp/
ゾンビを飼う家庭が一般的なもうひとつの世界の話。いじめられっ子の男の子が、初めて仲良くなったのはゾンビだった…という話が展開していきます。
この世界のゾンビの位置づけや、人間がゾンビにぶつける嫌悪と侮蔑の感情を見ていると、黒人奴隷が居た時代って、こんな感じだったのだろうか…などと想像がふくらみました。隣の善き隣人でも、一旦ゾンビになってしまえば、もはやモノと同じ。嫌悪しながらも徹底的に使役するわけですが、その頭の切り替えの躊躇のなさは、民族迫害と同じ構造なのではないか、とも思います。
なーんて、社会派なことを考えてしまいました。ていうか、グロいところはしっかりグロいので、そういうことを考えて気を紛らわせていました。


◆めがね http://www.megane-movie.com/
父の妄想だと思っていた映画を観にいきました。心洗われました。
人生を一休みすると決めた女(小林聡美)が、どこかの南の島を訪れる、という話。
民宿の主人、春だけに訪れる謎のカキ氷屋の女性、島の高校の女教師。それぞれ事情があることをにおわせつつも、全く説明はない。行間を読ませるような映像が淡々とすすんでいきます。
こうやって、誰も自分のことを知らない場所に行くって、ちょっと怖いだろうなあ。だけど、こういう穏やかでやさしい人たちが訪れた先にいるのなら、何とかなるのかなあ、と思いました。
だけど、まったく自分のことを知らないなんて、ちょっと切ないしなんだか寂しいじゃないか、と思った時、映画の中で、女を「先生」と呼ぶ青年(加瀬亮)があらわれました。とたんに安心してみていられるようになりました。
やっぱり、自分のことをよく知っている人がいるというのは安心する。過去をばっさりと捨てられる勇気や覚悟は、私には今のところない、ということが分りました。
あと、しゃべりまくる事がいいわけでもない、ということを改めて感じ、観終わった後、無口になってしまいました。一緒に行った友達を心配させてしまったかもしれません。
ずいぶん映画に感情移入してしまいました。
(さらに言うと、めがねの青年(加瀬亮)は素敵でした…)