流れ派

イガラシさんの日記にこんなことがかかれてました。

インド音楽ではターラという円を描くように終わりのないリズムサイクルが常住していて
奏者はそれを見出してただ乗るだけ、という考え方をします。
神がかり的な演奏する奏者も乗ってるだけです。
流されたり沈んだりせず、乗りこなす技術を持っているということです。
そんな感じで僕も流れに乗って進んでいきたいのです。

なるほど・・・。
ここんとこ自分の人生を「流されてここまで生かしていただきました」と受身に評価してきたのですが、違うのかも。
自分なりに流れを見出してそれに乗ってきたのかも。
確実に流されている部分があるが、一方で見出して乗っかってきた部分もある。
世界の因果は複雑なので、なかなか自分の思い通りに動かない。
その思い通りにならない感を「流れ」と私はとらえております。
ふと、流れって全く変えられないのかな?流れを見極める以外で、自分ができることはないのでしょうか?
などと、柄にもなく能動的なことが浮かびました。

あー、言葉にならない。
なんか最近「やる気が出ん!」と「これではいかん!」と「これからどうする!」いうような、もにゃもにゃした気持ちがあるのですが、ちょうどのタイミングでイガラシさんの日記を読んだのでした。