ガザ紛争のニュースをきいて

イスラエルとパレスチナガザ地区のニュースが年末からずっと続いております。

ユダヤ教とイスラム教の戦いにも見えるわけですが、徹底的に相手を排除しようとするこの感覚が、日本人の私にはいまいちぴんと来ない。なんかうまくやる方法はないのかいな、と思うんです。
ローマ時代から、イェルサレムは問題の火種になる土地だったのですが、それはユダヤ教の特殊さから来てるみたいすね。五賢帝の三番目、ハドリアヌス帝は、最後のユダヤ反乱を鎮圧し、政策としてローマに反抗するユダヤ人をイェルサレムの地に住まわせないように「離散」させます。

 ただし、反抗しようとしまいと、ユダヤ教徒に対してのハドリアヌスの感情が冷たかったことは確かだった。ハドリアヌスは、真実は自分たちだけが所有しており、それは唯一無二の自分たちの神のみであるとする彼らの生き方を、多様な人間社会もわきまえない傲慢であるとして嫌ったのだ。そして、それ以外の神々を信仰する他者を軽蔑し憎悪するこの人々に、神を愛するあまりに人間を憎むことになる性癖を見出して、同意できなかったのであった。ギリシア・ローマ文明の子ならば、当然な考え方である。ドグマに安住するのではなく、常に疑いを持つことが、ギリシア哲学の基本であったのだから。もしもこの時期のキリスト教徒が、ユダヤ教徒同様にローマに抗して反乱を起こしていたとしたら、迷うことなくハドリアヌスは、弾圧を強行していたと思う。
ローマ人の物語・賢帝の世紀[下] 26巻 pp102-103

ローマには30万くらい神様がいたそうです。日本と似てます。一神教世界のある種の不寛容さへの苛立ちを言葉にするとこうなるのかな。私はこの段落を読んで、ちょっと納得したんですが。
千数百年前から、ユダヤ人が国を持たず「離散」していること、数十年前から二千年前にすんでいた場所に国を作り、それまですんでいた人達を追い出したことが問題になっています。更にその背景は政治や経済があいまって複雑です。でも、何千年も同じことを繰り返しているこの地域では、やっぱり受け継がれてる考え方の枠組みである、宗教が特殊なんですね。
「特殊なんですね」ということばでくくってみても、何の解決にもなりませぬが、知っておくということがまず第一歩っす。
でも、あれっす、これからの時代は技術のおかげで個人個人がつながれる(=インターネット)わけですから。そこからなんとか、どうかなりゃせんのか、と思うわけっす。

ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)

ローマ人の物語〈26〉賢帝の世紀〈下〉 (新潮文庫)


(ふう、政治と宗教の話をしようとすると緊張するっすね!)