100日前の下書きが出てきた

「下書き」を見てみたら、
『女子間における女子力闘争について』
という100日前に書いた文章が中途半端なまま放置されていた。
続きを書いてみたいけど、なんかもうこの話題は旬を過ぎた気もするしなー
と思って、引き続き放置されているのでした。

この記事を書こうと着想したころは、多少は面白く読んでもらえるようなものになりそうな気がしていました。
しかし、最近は状況が変わり、負けてることすら口に出させてもらえない窮屈な空気がある気がするんですけど、皆さんどう思われますか。

星野源「こじらせ女子はすげー嫌い。ダサい」発言がもたらす激震と意義
http://mess-y.com/archives/500

とか

星野源”嫌い”発言で阿鼻叫喚! こじらせ女子はどう出る?
http://togech.jp/2013/07/02/2223

とかさ…。

これまでは、こじらせ系の人たちは、インターネットの中で自由にその思想を表現し、その過剰な自意識を昇華させてきたと思うのです。
こじらせ系に共通する世を斜めから見た目線、というのも、ブログやツイッターなどとマッチしてきたのでしょう。
しかし、そうやって我も我もと表現する人が増えてくると、こじらせ系自体存在感が出てきて、目立つようになった。
その結果、いつしか、こじらせ系自体が分析・批判の対象になるようになった。
もう一つの仮説は、こじらせている人というのは、自意識過剰なため、こじらせ系集団で形成される内圧に押しつぶされる形で自己批判に走ってしまうとか。
(小野ほりでぃさんはどっちかっつーとこじらせ系ではないかな…?)

まーそれはともかく、自意識をこじらせてる人、変わりたいけど変われない人(=私)なんかは、こういうの読んだらがっくりきちゃいますよね。
自己嫌悪というかさ。
わかってるんだけどよぉ~と弱弱しくうつむくしかないです。
もうインターネットも安らげる場所ではないのか…。
こりゃ、インスタグラムに延々と空と電信柱の写真を載せ続けるしかねえな。


あっ、オチはないです。