失恋したときのこと

あれ?この話は書いたっけ?
昔に言及したことがあるような気もするけど、記録しておこう。



失恋はしたほうがいい。
できればしたくないけれど、すると人生が豊かになるものだと思う。
失恋を知る前と後では、世界の深みが違うな、と思ったのは、初めての失恋でめそめそしていたときだった。

初めて失恋したとき。私は大人になっていた。
1年にも満たない、今から振り返れば4コマ漫画のようなつきあいであったのに、ものすごく悲しくなった。
まるで腕や脚をちぎられたようなのである。
青い空を見ては泣き、虫の声を聞いては泣き、インターネットでその人の名前を検索しては泣き・・・
とにかくめそめそしていた。
初めて激しく感情が動いていることに動揺した私は、思わず「失恋 癒やし方」と検索した。

その時初めて、今まで見えてこなかった「失恋」の世界を知った。
ヘレンケラーが水という概念と手のひらの水を結びつけた時と同じような感激・・・と言ってもいいと思う。
世の中は失恋の悲しみであふれていることがわかった。
ブログや掲示板を見てみたら、みんな悲しんでいるじゃないか!
そして気付いた。「そういえば、文学の、漫画の、映画、歌の半分くらいは失恋してるじゃないか!」と。
これまで様々な作品に触れてきたわけだが、私は何にもわかっちゃいなかった。

けれども心は晴れないので、次に、どうして私はこんなに辛いんだろう、ということを考え始めた。
自分の心を掘り下げていくと、これまで表に出てこなかった自分の感情に気づき始めた。
湧きあがる気持ちのうしろにある、プライドや依存心、そして相手をコントロールしたい気持ち。
一人で満ち足りていればわからなかったが、人と人との関係の中ではっきり見えてくる自分のいつもとは違う顔。
なんと私は醜いのか、と自分にがっかりした。

この出来事は、それまでふんわりなんとなく幸せに暮らしていた私が、初めて味わった喪失だった。
自分にはどうすることもできなくて、ただただ失われていくのを見ているしかない、という経験。
人生にはいろいろな喪失がある。
「失恋の世界」を知る前と後では「喪失」に対する考え方が全く変った。
すると、簡単に人を断じることができなくなった。

かつてカウンセリングの勉強をしていたとき、その先生が、
「恋愛はたくさんした方がいいよ~フフフ」
と言っていた。(私はその先生のことをうさんくせえ、と思っていたのだが、)なるほど、これか。
先生の言っていたことは正しかったな。

人と人とが惹かれ合って求め合ってうまくいかなくなって、その関係がだめになる。
たくさんの喪失が起こる。
そのとき人は弱る。
だけどその機会は悪いことばかりでなく、内省が深まるきっかけになったり、視野が広がるようになるかもしれない。
こんなにつらいのに、先祖から「失恋はキツいから恋愛するな」等の申し送り(恋愛感情の発現遺伝子から脱落するということ)も特になかった(少なくともうちは)。
どうやら人類が飽きることなく繰り返しやってきたことなのであるから面白い。
また、才能がある人が失恋すると、そこから芸術が生まれたりもする。

こうやって考えると、私は失恋というものも悪くはないなあと思っているのです。

まあ、失恋するのはいやなんだけどね…。