大いなる沈黙へ を観た

映画『大いなる沈黙へ』オフィシャルサイト

映画『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』予告編 - YouTube

主の前で大風が起こり 山を裂き、岩を砕いたが
主はおられなかった
風の後 地震が起こったが
主はおられなかった
地震の後 火が起こったが
主はおられなかった
火の後 静かなやさしい
さざめきがあった

ツイッターのTLで「観た!」という感想がどんどん流れてきた時期があり、興味がわいたので時間を見て観に行ってみた。
とてもよかった。
最後泣いた。

なんとこの映画は165分もある。
2時間を過ぎたころからずっとトイレのことを考えていた。
観に行かれる方は、トイレの心配のないように気を付けて。
それから、出てくる人が何もしゃべらないので、1時間半を超えたところと、2時間を超えたところで、ちょっと居眠りしました。
観に行かれる方は、前日よく眠ってから観ることをお勧めします。

なんで出てくる人が、修道院の話なので修道士なんだけども、喋らないかというと、この修道院は、労働のときの必要最低限の会話と日曜日の午後の数時間(散歩したり会話したりして楽しむ時間)だけ他の人と会話してよくて、他はずっと聖書を読んだり讃美歌を歌ったり、思索にふけったりするのが決まりなのだ。

映画では、冬から春、春から夏、そしてまた雪の降る冬と、日々の生活が淡々と描かれていく。
観ている私たちもそっと、監督の回すカメラの横に立って修道士を見つめている感覚になる。

若い人もいるけど、もうすぐ死にそうな人もいた。
死にそうな人はきっと60年くらいこの生活をしてきたのだろう。

みんな自分の物をほとんど持っていなかった。
僧服はつぎを当てて大切に着ていた。

この映画を観て、神の愛について考えている。
私はちゃんと聖書を読んだことがない。
以前、ふしぎなキリスト教という、キリスト教の教義をかみ砕いて説明したものを読んだんだけど、そこにキリスト教の神の愛が解説されていた。

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書)

その解説を思い出してみる。
神は人を愛しているんだけど、特別助けてくれたり、助けてくれる保証をしてくれるわけではない。それどころか時々不幸な目に遭わせたりする。だけど、そういうことも含めて、起こることすべては神の意思なのであり、それが神の愛である。
って感じのことが書いてあったかな。

少し前の記事に、人は人の愛で育つ、ということを書いた。
大勢の人が言ってるけど、人は人のつながりの中で自分を形作っていくと私も思う。
一方、自己啓発本などにはよく「自分のことを好きになりなさい」とか「自分を愛しなさい」ということが書いてある。
それって相当難しい事なんじゃないかと最近思ってる。
自分のことがどうしても好きになれないことって絶対ある。
それがふとひっくり返るときっていうのは、やっぱり他の人が自分に光を当ててくれる時なんじゃないだろうか。
もしくは、それまでの人生で他の人がくれたものを思い出すとかさ。
それってざっくりまとめて、人からの愛なんじゃなかろうかと私は理解している。

だけど、そういう、人のつながりとか愛とかがどうしても自分を闇の底から引き揚げてくれない時や、人とか人の愛とか言っていられないような、圧倒的な理不尽に巻き込まれたとき。
そういう時に神の愛があると思っていられるかいられないかで変わってくるのではないか。

日本人に比べて、キリスト教圏の人はとても強いなあと思える時があるけど、神の愛もある世界に生きているからなのかな、ってちょっと思っている。

変わらない日課をこなし、ずっと一人で過ごす彼ら。
何か考えたり、書き留めたり、いろいろしているんだけど、別に何かを発表するわけでもなく、人からフィードバックをもらえるわけでもない(んだと思う)。
自分の心の中だけで、ぐるぐる考えている生活なわけだ。
それはものすごく孤独だ。
でも、その頭の中というか心の中というか、神は心に宿るわけではなくてすでに居る存在なんだけど、神がいたらどうか。
神と自分だけの生活をしているわけだ。
それはさみしくない…?

本と考えてたことが修道士の生活を垣間見てちょっとつながった気がした。


修道士の生活を考えると、うわあ…って思う。
純粋で素晴らしいと思うけど、全然真似したくない。
でも、どこかに憧れがある。
しかしやれそうにない…。
そういう、何とも言えないうわあ…なんだけど。

しかし最近は修道士づいてるな。

イエズス会の世界戦略 (講談社選書メチエ)

イエズス会の世界戦略 (講談社選書メチエ)

こんな本も読んだしね。。。



【ここからネタバレ?です】
























だけど、最後の最後に、盲目の年を取った修道士が、少しだけ監督に(私たちに)話してくれることがある。

何が起ころうとも、心配することは何もないんだよ。起こることはすべて、私たちの幸せのためになるんだ。私は盲目になったことをよく神様に感謝する。死は、何もこわいことではないんだよ。

大いなる沈黙へ:パンフレットp10より
これは終わる10分前くらいのところで出てくる場面で、初めて観客に出演者が語りかける言葉なんだけど、その前の2時間35分の重みがすごくて、私は思わず泣きました。

なんか、この体験も含めて、とても修行っぽい映画です。
好き嫌いがあると思うけど、私は観に行ってよかったなあと思う映画でした。