小笠原に行ってきた

出張で小笠原の父島と母島に行ってきた。
日本に住んでいて、26時間かけて日本の島に出かけるというのはなかなかできないことではなかろうか。

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小笠原諸島では父島母島と硫黄島しか人が住んでいない。うち、硫黄島には自衛隊や米軍関係の人しかいない。住民は父島に約2000人、母島に450人である。
小笠原村には公務員が4割くらい、気象庁防衛省、都の職員などがほとんどなので、2,3年の任期で人が入れ替わる。
小笠原村は、まだ日本に返還されてから47年しかたっていない。これは沖縄よりも遅い本土復帰である。戦中に住民たちは強制的に内地に疎開させられている。欧米系の住民だけ先に帰島していたが、日本系の住民は返還されるまで20年間内地に住んでいたわけなので、暮らしの基盤ができてしまい、戻らない人が多かった。
しかし、返還後、小笠原の自然に魅かれて移り住む人たちが多くあった。村役場の人でも出身を訊いたら、千葉だとか埼玉だとか群馬だとか、みんなバラバラで、いろいろあってはや20年です、30年です、と答える人が多かった。
こういういきさつで、外からやってきた人が小笠原村の大多数を占めている。沖縄のようにかつては違う国で、違う文化を持っていたところともちょっと違う、フロンティアスピリットの気質の人たちが集まって新しく文化を作り上げていこうとしている場所のようだった。
それでは、そういう人たちが小笠原に骨をうずめる用意をして移住したのかというとそうでもないらしい。というのは、小笠原村に住めるのは「健康である」間だけだからだ。
小笠原村には診療所がある。医師も3人は常駐しているので、離島にしては手厚い方であろう。しかし、手術はできない。人工透析などの設備もない。急に事故や病気が起こった場合は、緊急搬送が必要な時は飛行艇がやってくるまで10時間は見ないといけない。出産予定日の1か月前には必ず内地に移動し、内地の産院で出産しなければならない。
家族を持ち、子どもを育て始めると、大自然と不便さに魅かれて住み着いた人たちは、今度はその不便さが不安になると言っていた。そういうわけで、住民の飛行場建設を望む声は少なくない。
小笠原村に住む人は、いつか身体がいうことを聞かなくなったら内地に住むことになるかもしれない、ということを考えながら暮らしている。実際、小笠原村の高齢化率は12%である。



小笠原の医療と福祉について聞いて回る旅だったので、なんかこんなことしか書けないんですけど、父島も母島もいいとこでした。海がきれいだし、空気もきれいだし、太陽がキラキラまぶしいので、撮る写真はエフェクトかけなくても全部クリアに写ってました。
入り江に沈む三日月も見たし、満天の星空も見た。オガサワラオオコウモリも見た*1
次はいつ行くのかわからないんですけど、何かの機会にまた行きたいですね。

*1:なんだかでっかかった。