緊急事態宣言がふたたび発令されそう

2021年年明けから緊急事態宣言が再び発令されそうになっている。
劇場や映画館などの制限はなく、午後8時で飲食店の営業を終了というところから、会食クラスタをつぶすためという目的が透けて見える。
そのせいか、なんとなく周りの人たちの動きは鈍い。私の周りの人たちは結構きちんとしている人が多いので、飲みに行ったりしている人はほとんどいなさそう。友達との会食はやめた、手も洗うしマスクもする、できるだけ在宅ワークして静かに暮らす。個人としてはもうやることがないんだよね。
会食をしないと居られないタイプの人たちの行動変容を促すという、限定的な作戦にしたのだろうか。それにしても、補償をしないと飲食店がつぶれてしまうのでは?
SARSを経験していない欧米と日本は日和った判断をしがちであるところが似ていて、ハンマーとダンスのスパイラルに入っている。個人でやれることはもう手詰まりになっているし、だんだんみんな感染の恐怖が麻痺して、制限を無視する人が増えてくるだろうし。「一日の感染者数が〇人になるまでやる」などと目標も示されない2回目の緊急事態宣言はぐずぐずになりそう。

西浦先生ファンなので、この本を買って読みました。
謎の感染症ウイルスが中国で発生したというニュースが飛び交った2019年年末から、緊急事態宣言終了後、クラスター対策班が解散するまでの期間に理論疫学者の西浦先生がどのように行動したかを描いたお話。西浦先生が語り、作家の川端裕人氏がそれを文章にしたので非常に読みやすかったです。
1回目の緊急事態宣言の時は、疫学や感染症の専門家がたくさん情報発信してくれて、よくわからないながらも自分で考える材料をたくさん用意してくれていたように思う。この本では、専門家集団の横のつながりの様子や、政府から独立し毎晩のようにミーティングし、国民にどう情報発信するかを何度も議論する様子が描かれている。
原則として、1回目の緊急事態宣言のころは、科学コミュニケーションの重視、つまり、政策決定の基になっている情報を開示し、なぜそのような判断になるのかを様々なメディアを通して発信し、それを受け取った市民が自分でどのように行動するかを判断できるようにするという、非常に民主的な方法を取ろうとしていた。
しかし、いまは情報がほとんど出回っていない印象である。クラスター対策班は解散、分科会となった。分科会には医療以外、経済学の専門家なども含まれているようだが、情報発信には春のころより抑制的で、対策班のような存在感はない。
帯に「科学者の社会的使命とは何か?」という言葉がある。政府からも他分野の専門家からも突き上げられることが容易に想像できる分科会の座長を尾身先生が買って出ていて、その責任感に涙が出る。
春から夏にかけての専門家集団は、内ゲバを起こしている様子もなく、非常によく連携して動いていたように見えた。やはり、医学という共通言語を持っていることの強みを感じる。それでも、学者が政治と連携する、しかも「科学者の社会的使命」を果たせるように行動する、というのは本当に難しいと思う。科学的根拠は必ずしも政治家のシナリオには沿わないので。タフな交渉や説得の様子が本から垣間見える。政府が土壇場で文言を書き換えたりなど、いろいろうまくいかなかったことも多かったことも隠さず書いてあった。もしも自分が自分の専門分野で政策決定に関わることになった時、名誉欲を抑え、権力に流されず、責任におじけづかずに社会的使命を果たせるのだろうか。自分に問うという意味でも、すごく考えさせられる本だった。