8時起床。実は寒さで6時にもおきていた。クーラーが効きすぎだ。

朝食は併設のレストランにて。クーポンを渡す形式でビュッフェ。辛くないタイ料理と果物、パンケーキ、ミルクティーを選ぶ。

10時過ぎ、ワット・プラケオに向かって歩き出す。歩き出してすぐにホテルの人からバスの路線番号を教えてもらう。60番。

60番バス停に向かって歩く。すぐにタクシーやツクツクが寄って来たが無視して進む。

バスに乗ると、それはエアコンつきのバスだった。車掌さん(女性)が寄ってきてどこまでかをきいてくる。一人10Bだった。

車掌さんは金属でできた円筒形の筒を持っていて、それにはふたが付いている。ふたを開けると小銭が入っている。隅にロール状に丸められた切符があって、人数分の切符をするすると出し、ふたではさんで切って、領収の切り目を入れるという、なんとも無駄のない仕組みだ。

車中、3人でぺらぺらと喋っていたら、周りの人に笑われる。

ワット・プラケオ前に到着すると、いい身なりをした、携帯電話を持った男が待ち受けていて、英語で「今日はワット・プラケオとワット・ポー、ワット・アルンはまだ開いてないよ。」と言ってくる。彼らは『その代わりいい店を紹介してやる』といいたいのであろう。その手口は予め想定しておいたので、「ノーサンキュー、グッバ−イ」と言ってかわしておく。

反対側に見える、ワット・プラケオの方へ道路を渡りたいのだが、車線が多く、車も全く止まってくれる様子が見られない。オドオドしていたら、先ほどの客引き男が手助けしてくれた。

横断の都合上、ワット・プラケオの隣のワット・ポーに着いてしまう。

ワット・ポーはもちろん開いていた。欧米人と中国人のツアー客と日本人大学生がたくさんいた。とても広い境内。まず涅槃像を見る。金ぴかの巨大な仏像。長い。建物のなかは装飾が細かく、壁、窓枠、柱などいたるところに装飾が施されている。仏像の足の裏はアコヤガイの装飾で、非常に美しい。窓枠の模様でエッチなのがあり、面白いので写真に撮っておいた。

境内には寄進された金ぴかの仏像を展示する回廊あり。そういう建物の間に木を寄せ植えしている所あり。そこには様々な石仏が飾ってある。

面白いのは、マッサージ場に近づくにつれて、マッサージをしている石仏が増えてくるということ。門番の石像はシルクハットをかぶっていて、中国風の作り。

マッサージ場に着く。30分120B。29番の札を渡された。待合所は入り口の外。ベンチのそばは猫がのんきに眠っている。

呼ばれて行くと、黄色のポロシャツを着たお姉さんマッサージ師に当たった。はじめは足、脚。極楽。今まで知らなかったツボを押されて新しい発見。痛いところを押されてうめき声をあげると、お姉さんはケラケラ笑った。次に仰向け。肩。最後にえびぞりを決められてハイ、おしまい。なんとも濃密な30分だった。

次はワット・プラケオとその隣の王宮。タイ最高位の寺院だけあって、服装チェックをされた。前庭はたくさんの人々。その先にチケット売り場がある。ガイドブックでは120Bとあったのに、200Bになっていた。値段も最高位というわけ。

ワット・プラケオは豪華絢爛で素晴らしく美しい。花のモチーフの模様。不思議な造形。見たことのない仏教の神々の像。写真厳禁なのに欧米人はずうずうしくも取りまくっていた。

友人Iが欧米の日本語が達者な人に声をかけられ、写真のモデルになった。仏像の顔とIの顔を重ね合わせるらしい。

周りではもうすぐエメラルド・ブッダの衣替えの日らしく、その準備でトンテンカンとやっていた。

ワット・プラケオから王宮へ。チャクリ−・マハ・プラサート宮殿はまるでディズニーランドのよう。屋根がタイ式、下が西洋式。なんとも不思議。日本の建物は古くなってもそのままにするのが普通だが、タイは利用していく限りちゃんとメンテナンスをするのが普通らしい。最初の「ディズニーランド」はきれいなままだからそう感じたのだろうか。その建物は、1階だけ解放されていて、向かって左は武器の展示場、右は銃の展示場だった。武器の方は日本刀、サーベル(宝石で飾られていた)、ナイフ、両手刀、トライデント、ランス、スピア、地元独特の槍、警察が使っていた槍など、大量に飾ってあった。Eと私はそういうのが意外に好きな性質なのでウハウハしながら見ていたら、係員のおじさんに笑われた。何故だ。

銃の展示場は私としてはあまり興味がなくわからないので、さささっと見てまわった。展示物の中の一つに、水牛の角で作った弾薬入れがあったのだが、それを私たちは「ぶっとい短銃」だとおもっていて、「ぶっといねえ」と感心していた。それを見かねた人が「これは入れ物だよ」とわざわざ教えてくれた。赤面。

バルコニーにつながる両脇の階段に象の銅像と生身の兵士が居た。兵士は全く動かない。大変な仕事である。しかし、他の兵士は中央の休憩所で新聞を読んでくつろいでいた。

疲れて、腹も減ったので外へ。屋台があるか大変心配であったが、ナ・プラ・ラーン通りを西へ。市場兼屋台村のような所へ突き当たった。果物がたくさんあり、すえたにおいが辺りを漂う。食堂でぶっかけ飯をいただく。良くわからんので一皿に3種類かけてくれと頼んだら変な顔をされた。鶏肉カレー+レバーカレー+魚のフライで50B。ピンクのプラスチック皿にアルミスプーンとフォークを渡された。それでいいのだ。

席が一杯だったので、少し離れた別の店舗で食べた。軽食(アイスやジュース)を扱うその店のおばさんは、辛さにぎゃあぎゃあいう私たちが面白かったのか、「美味いか?」と訊いてくる。辛くて口がきけないEはただひたすら「ホット、ホット」と言っていた。

食事が済み、トイレに行くと、トイレは掃除したばかりで全てがビショぬれだった。少しあせる私。洋式トイレに入ると便器も濡れている。便座を下ろすと便座に明らかに足跡が。『これは私もしゃがむべきか?』と悩んだが、結局持参のトイレットペーパーで便座を拭いて、半分中腰で用を足した。

トイレを出ると二人は食後のアイスを食べていた。私もさっそく買う。1カップ20B。しかしおばさんに「トイレ、2B。オーケー?」とお釣りのとき言われた。しっかりトイレ代を取られてしまった。

その白いアイスは甘すぎず、ドライフルーツらしきものが入って爽やかな味わい。シャーベットの様だが、日本だと「シャーベット=酸っぱい」となるが、そうではなく、「白い=バニラ」というわけではなく・・・とても美味だった。

ワット・アルンに向かって再び歩き出した私たち。チャオプラヤー川と平行に通るアハラート通りを南に。ワット・アルンの渡し舟乗り場

を探す。なんとなく中国っぽいとおり。売っている物や看板は中国風?人はタイ系?建物は黒くすすけている。犬・猫がそこらへんに本当に適当に丸まって寝ている。バンコクの犬は全然可愛くない。やせこけていて汚い。なでようという気が全く起こらない。猫も同じ。

川が近いからか、非常に生臭い。するめやカレイっぽい切り身が冷やされずに置いてある。ハエがたかりまくっている。しかしどこかで感じた懐かしいにおい。千葉の幸町市場がこんなかんじだったなあ。

道を間違え、人に聞きながら渡し場についた。ターディアンと言うらしい。路地の突き当たりであまり目立たない。黒くなった木製の建物。地元の小学生が遊んでいて、小さな売店とベンチがある。ゲートにおばさんがいて2B払うと船に乗れる。

チャオプラヤー川は本当に広い。そして汚い。神田川に×0.85ぐらいの汚さ。神田川×0.85を広くしたその川は波が割と高く、よく揺れる。

水深は深い。2分経たないうちに対岸に着いた。

ワット・アルンの入り口には立派な書き割り(人間を描いた板で、顔のところだけ穴があいている)が多数乱立している。しかしそれにはよく見ると40Bとかいてあるのだ。だまされる人もいるのだろう・・・

ワット・アルンの前には芝生の公園があり、ハト、犬、子供があそんでいる。私たちはそこに座り込んで水を飲みつつワット・アルンの白い塔とチャオプラヤー川を眺めた。だんだん周りに座り込む人が増え、犬(大・中1匹ずつ・小2匹)が転がりまわって遊び、白人とタイ人のホモっぽいカップルがサンドイッチをぱくついてのんびりしていた。

やっとワット・アルンに入る。入り口で20B取られた。ガイドには無料と書いてあったのに。ワット・アルンは全体が塔で、階段を外から上るというもの。大きい鐘と小さい鐘を重ねて上に尖った柱を乗っけた形。その中腹まで上れる。階段が急で恐ろしい。手すりはない。自分の責任において上れというわけだ。間近で模様を見た。花や草がモチーフ。タイルで彩られている。が、よく見るとタイルの中には皿もあった。この寺自体あまりメンテナンスされてない?目に優しい牛乳色の壁。一番まったりする場所だった。

ワット・アルンから離れる時、京都の学生が話し掛けてきた。友達になりたそうだったが結局はならなかった。なっとけばよかった?

その後、タクシーを拾って「ISETAN」へ。しかし予定変更、「TOKYU」へ。TOKYUでEはTシャツ購入。なんとTOKYU内でもワゴン品は値引き可能のようで、199Bが180Bになった。ISETANに向かって歩く。ISETANにフードコート(クーポン制のお好み食堂。とても美味くて種類が豊富)があると思っていたら違っていた。全員の機嫌が悪くなる。結局水、パン、ビール、お菓子を買い込んでタクシーでホテルへ。全員ぐったり。