暑中見舞いについて

 とてもデリケートな問題だと思う。人間関係は何でもデリケートだ。

 まず、暑中見舞いは年賀状とは違う。年賀状は半強制的と言うか、社会的因習が無言の圧力をかけて私たちに書かせるものである。しかし暑中見舞いというものは仕事がらみでなければ、全く自主的でプライベートな物だ。この部分が私たちに様々な選択を迫る。
 総ての知り合いに出せるわけが無いのだから、まず人を選ばなくてはいけなくなってくる。誰に出して誰に出さないか。また様式も。e‐mailで出すか、葉書で出すかの判断。さらに言うと、葉書の場合、手描きにするか、既成品に字を書くか、それとも真っ白な葉書に字を書くか。メールの場合、グリーティングサービスにして一括で送るか、手打ちでメールを綴るか。絵ひとつとってもセンスが問われるし、字体もあまりにも乱暴にはできない。メールだって季節感のある挨拶、適切な内容・・・ETC・・・ETC・・・

 私の場合は、

 1.くれた人に出す
 2.定期的にやりとりしている遠い人に出す
 3.親しい間柄の人に出す

 が普通だ。
 しかし、3番の「親しい」という線引きはとても難しい。こちらが親しいと思っていても、向こうは親しくないと思っているかもしれないし、反対の事もあるかもしれない。また、親しくなくてもこちらにも含ませたい意味がある時にも出したくなる。となると、
3を

 3.とても親しい間柄の人に出す

と変更し、さらに、

 4.あまり親しくない人にも出す
 5.下心のある人に出す

と付け加えなくてはならない。しかし5で、大して親しくもないのにこいつから来たぞ、これは一体どういう心積もりだと思われてしまうのもこちらとしては少しつごうが悪い。だいたいこちらとしては暑中見舞いという大昔からある風習にのっとって、そこはかとないあ・うん的交流を楽しみ、それによって相手の無意識の層になにかをアピールしたいのだ。意識下ではっきり怪しまれてしまっては風流さも何もありゃしない。となるとどうすれば良いか、「沈黙は金」なのか?いや、雄弁の方が金ではないか?

 とまあ、うだうだ考えているうちに、めんどくさくなるか切手代が惜しくなるかで出さなくなる事が多い。今回もごく一部の人になりそうな予感。