[日常] 考察

先日はくらーい日記を書いてしまった。思えばあの日が一番だめになっていた。
大なり小なり、人はみな、辛いことを抱えつつ、日々をすごしており、その辛さは個人にとっては比べようがないものであり絶対的なものである。なので、辛い辛いと考え、その原因を並べて数えて嘆くことは、つまり悲劇のヒロインになることは、とてもばかばかしいことであるし、したくないと考えていた。
しかし、感情と言うものは、理性を飛び越えてしまうのであるよ(感嘆)。久しぶりにゆらいだなあ、と。
ここ3ヶ月くらいの間、一緒のプロジェクトに携わっている人が順番に、まるで伝染病のように「辞めたい」と苦悩していた。感染前の私は、「分かるけれども、やらねばならないのだから、そんな苦悩を出しすぎないでほしい。私だって苦悩はあるけれども、努めてコントロールしている」とどこか納得できない気持ちで考えていた。
感染後は、そんな感染前の自分を恥じる。それは、分かったような気になっていただけだからだ。この伝染病の感情の渦は、人を疲弊させる。とても消耗させる。混乱を出してしまうことも仕方のない部分がある、ということを心のそこからわかっていなかったということだ。
別の視点で見ると、許せなくなる、大目に見れなくなるほど私も巻き込まれていたと言うことだろう。いや、もしかしたら、現在進行形で巻き込まれ続けているのかもしれない。というのも、今度は、やる気が出なくなってしまったのだ。意欲がわかなくなってきた。思考することが、新しいことを知るのが面倒くさくなってきている状態だ。
今後、自分がいったいどうなるのか。果たして論文は書けるのか。仕事は滞りなく出来るようになるのか。またしばらくたったら、振り返ってみたい。