私以外の人にとってはどうでもいい情報です。しかも長いし。

原稿の推敲をしながら、「ほぼ日の就職論」を読みつつ、最近の自分についての変化について考えるという忙しいことをした。今ならちょっと、考えてることを言葉にできそうなので、忘れてしまわぬうちにここに記しておきたいと思う。

最近、ちょっと考えに変化があらわれた気がする。っていうのは、仕事についての考えだ。
私は過去2回「職がなくなる」という経験をしたせいか、ここんとこずっと、来年度、今のポストが「なくなりそう」って言われて、悲愴な気持ちで仕事していた。
でもごく最近、ちょっと肩の力が抜けたのです。いや、詳しく言うと、「なくなりそう」って言われて、
「土日も賭けてがんばってるのに、ようやく今の仕事の社会的意義も広まってきたのに、その上、資格もスキルも何もないのに、また無職かよ!!」
とすごくショックを受けたんだけど、ショックに浸る暇なく仕事の締め切りが迫ってきて、でも色々あってちゃんとやれず、締め切りを延ばしてもらって(原稿以外にも)、はた、と気付いたのです。
「今の仕事量だと、自分が納得できるクオリティにならん」
と。…質といっても、まだいろんな人から教えてもらっている身なので、独創性とかではなくて…頼まれた仕事を自分なりに形にして(自分が苦し紛れでも、考えて作業して、叩いておいたものを)頼んでくれた人に提示して形にする、って工程がきちんと踏めない仕事の量になったのです。
同時期に、今年は三年目にして初めて、「今の仕事にクリエイティブにかかわりたい」って思えたのです。自分で経験したことから出てきたギモンを、「そこんとこどうなの?」って明らかにしたいっていうか…。
理由を考えると3つくらいある。
理由のひとつは、隣の席の年上の後輩(ややこしいな)の姿勢にひたすら影響されていると思うんですけど(われながら影響されやすい)。その人はいつも「おもしろい、おもしろい」って言うんですよ。で、いつも二人ひっついて仕事してたら、研究っていいなあ、と思えるようになったのです。
もともと、「研究テーマって何?」とか「研究テーマを持て!」と言われても、好奇心がジャマしてテーマは拡散しがちとなり、まるでそれが悪いことみたいに思えて辛かったのですが、その人を見てたら「こういう姿勢もアリか」と思えるようになったのです。
ふたつめの理由はきっと、石の上にも三年、ってことでしょうなあ。仕事内容が分ってきたり、この業界の全体像がおぼろげながら見えてきたんだと思います。
三つ目は、今の上司の先生が来年度で定年退職であり、もしかしたらもう、研究の指導をしてもらえなくなるかもしれない、ということ。今の先生は、この業界では結構有名で、政治力はないが、研究力は(たぶん)すごくある人です。ずっと「小宮山さんは何がしたいの?」と辛抱強く付き合ってくれるいい人です。そんな先生に指導を受けられる最後のチャンスなのです。
仕事量が多くて、うまく仕事を回せなくなったのと、初めて「クリエイティブにいきたい」と思えたのと、この二つがそろってですね、吹っ切れたんですね。
来年は、仕事がなくなって、収入が減るかもしれないけど、でもきっと耐えられる、と。
口に出すのも恐ろしいけど、もしかしたら、いや…ためらわれる…ものすごく勇気を出して言うと、私、「ちゃんと研究したい」のかなー…。
ああ、言ってしまった。こういうと、ちゃんと研究できなかった時が落ち込むから嫌だけど、でもあえて言うと、そういうことだ。ちゃんと腰をすえて、ものを考えたいと言う気持ちになってきたのだ。だから、今みたいにあらゆる仕事をわんこそばのようにこなす状態だと、ものも考えられんから、少し余裕が欲しくなったのだ。
そう思えると、来年度の「今のポストを失する」ことがチャンスのように見えてきて。今までそのことが、ずっと不幸なことだと思っていたのに、新たな可能性として捉えることができて、考え方の幅が出てきて、
「ああ、私は憑き物が落ちたのだなあ」
と思えたのです。これは大きな変化なのです。
なんか、今日は日記っぽくて恥ずかしいなあ(って公開してるし)。明日になって、この気持ちが消えていたら落ち込むなあ。結構当たり前のことを書いてるなあ(読み直してみて)。
でも、変化だ。これは変化なのだよ。
はっ、原稿がすすんでない…これって逃避?いや!違うから!いつも必然の選択だよ!