山陰・山陽の旅の計画を練りながら思ったこと

今日は友だちと集まって9月の連休で行く旅の計画を練った。
山陰・山陽の旅にでるのだ。


お盆にみんなが帰省していたとき、話が持ち上がった。
私が「出雲大社に行こうよ」とさそったのだが、他の友だちはすでに参拝を済ませていた。

でも、どうしても出雲大社に行きたい私。行きたいとねばっていると、友だち二人は水木しげるロード境港)、玉造温泉(松江)、厳島神社(広島)、秋芳洞(山口)を候補に挙げてきた。
どうしようか・・・と考えた結果、全部まわる事になった。
せっかくの5連休だし。
で、西のほうに嫁に行った友だちも誘うことにし、長い旅行に行くこととなった。


今日はその計画をたてた。旅程上はなんとかなりそうである。

今回笑えたのは、すでに他の二人が出雲大社に行っていたということだ。
やっぱりみんな、いいご縁が欲しいよね!私も!!
私の場合は、まいこもりすさんがお守りを持っていて、うらやましくなったところから端を発する。
6月には両親と妹夫婦が山陰に旅行していたのだが、なぜか縁結びお守りを買ってきてくれなかった。どうも忘れてた模様。
やっぱり本人が行かないとダメなのかしらとも思っていた。


そう、こんなに「ご縁!」と意識しだしたのは生まれて初めてなのである。
これまでは結婚なんて、ほとんど他人事で、考えたこともなかったが、最近は頻繁に考えるようになった。
というのは、ある日「あと数年で、私以外の家族が全員、西に引っ越してしまう」ということに気付いたからだ。
ちなみに、関東に親戚は大叔父家族(やや遠い親戚)しかいない・・・もうひとりの大叔父は行方不明だし。
そう気付いたあと、「咳をしても一人」という句を思い出した。
おおお、これはえらいこっちゃ・・・。


こんなに必要性を感じたことは今まであっただろうか。
この勢いでいろいろ動かないと、一生結婚しない気もする。
(やりたいことしかできない性格のようなので。)


ということでご縁ご縁、婚活婚活と騒いでいたら、ある友だち(男性)から、
「あんまりそういうことで騒がないほうがいいと思う」
とアドバイスをいただいた。そ、そういうもんかな。がつがつしてるように見えるのかな。
がつがつしていると、引く人もいるだろうな。草食系男子とか?が?


実は、騒いでいても、じゃあ具体的に今後どうしたい・・・例えば、何歳までに子どもを産みたいとか、どんな暮らしがしたいとか・・・というのがあまりない。
なぜなら、今は自分の生活で手一杯だから・・・(へこー)。
目標を達成したい場合は、その目標やその先の自分の状態を具体的にイメージすることが大切、といろんな本に書いてあるよね。
それはもっともだと思う。今の時代、選択するのも挑戦するのも自由だから。
自分がどうしたいかをはっきりせねば、結局動けないし選べない。何もできないうちに、どんどん歳をとる。


一方で、そういう意志的な生き方ではなく、運命的な関係にもあこがれるんだけど。
以前上司に、「小宮山さんは、子どもが欲しいからとかお金があるからとか、そういう戦略的な結婚の仕方よりも、気の合う人とずっと一緒に暮らすっていうほうが性にあってると思う」などと言われたことがある。
でも、この方向でいくと、一体いつぴったりな人に会えるのか・・・それとも一生会えないのか・・・。
そうしてもたもたしているうちに歳をとっていくのさ・・・。


でもまあ、よく考えてみたら、地方から東京に出てきている人は最初から一人なんだけど。
それに必ずしも結婚でなくても、信頼できる人間関係を深く構築していけば、関東に一人住んでもやっていけるのだ。
仕事を安定させて、人とのつながりやサポートの授受を密にしたらいい、といえばいい事なんだけど。
私は甘いのかなー。


一体、どうやって折り合いをつけていこうか。
単に年齢や最近の流行に踊らされてるだけなのか。
そして、出雲大社でお守りは無事ゲットできるのか。
縁結びお守りのご利益はいかほどか。
こんなこと書いて(公言して)どうなんだろうか。
などと、いろんな考えが頭をよぎります。
まあとにかく、そういう心模様になったことは私にとっての変化(ていうか発達?)であり、ぜひ記録しておきたいとも思いましたので、ここに記録しました。


ああ、こんな時間に・・・明日は色々やることがある。