3月11日以降考えたこと

あの日から、被害の大きさが明らかになり、改めてあの地震の凄まじさをTV等を通して目の当たりにした。地震が引き起こした津波。圧倒的な自然の威力。原発の爆発。原子力発電の制御のむつかしさやリスクの高さ。今回の被害は大きすぎる。

考えないようにしてきた問題の上にあぐらをかいていた私たちの生活。ありとあらゆる問題や課題があらわになった。今、直接の影響はないにしても、間接的に影響が来る。いろんな人の人生が変わってしまった。これからじわじわ変わる人もいるだろう。
こんなことを書くのはどうかとも思うが、ここは私の日記でもあるので書いておくよ。
実は私は、年明けからエジプトの革命等を見ていて、あと数年で日本でも革命のようなことが起こって、混沌とした時代がやってくるのではないか、と感じていた。よく時代の閉塞感、という言葉があるけれども、世の中の鬱屈としたマグマみたいなものがあって、いつか大変なことが起こるんじゃないか、何だかそういうことばかり考えていた。そうしたら、今回のことが起こった。
こんなひどいこと、起こってよかったとは一つも思えない。だけど、圧倒的な出来事だ。これからいろんなことが変わると思うし、変えていかなきゃいけない。おざなりにしてきたこと、考えないようにしてきたことについて、真剣に取り組まないといけない。今この時機を逃したら、もう私たちは後悔に沈んで、斜陽のなかにずっとたゆたうことになる気がする。
マクロな話は専門家の人たちにまかせるて、自分の想像力の働く範囲内での事について。仕事の中で、生活の中で、いつも楽をしてきたことがあったとして、古いやり方に習ってきたとして、それを当然のことと思っていたとしたら、もうそれは要検討事項だ。別のやり方ができないか、別の態度をとれないか、面倒でも後々よくなることは何か。私たちはちゃんと考えて選びとらないといけないと思う。想像力をふくらます。多角的にものを見る。他者のことを少し考える。そして元気でいられるうちは健やかに暮らすように努力するよ。
こうやって、ちょっと立派なこと書いてるけど、愚かだからすぐに忘れちゃうんだよ、私は。でも今回は忘れないようにする。これから10年の私の課題にするよ。どうか私、忘れないで。この気持ちを忘れないでよ。