かぐや姫の物語を観たときのこと

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そうそう、先日「かぐや姫の物語」を観に行ったのだった。
高畑勲監督の映画です。
観て良かったよ。胸に来るシーンがたくさんあった。
涙が出て止まらない映画でした。
映画館から駅に歩いていると、とても悲しくなって、しまいには落ち込んでしまった。
この映画は男性と女性とで見方が変わるのではないかと思う。
個人的に「風立ちぬ」は男の映画、「かぐや姫の物語」は女の映画、と私は位置づけた。
不思議なのは、どちらも男性のおじいさんが作ったということ。
特に、高畑監督はどういう気持ちで、竹取物語をあんなに悲しい物語に仕上げたんだろう、と不思議に思っている。




竹取物語が原作として作られる作品の多くは、超越した存在としてのかぐや姫がいて、私たちの世界の価値観をまるで無視するような振る舞いをし、あっさり月に帰ってしまうというストーリーが多いとおもう。
そこがかぐや姫の話の面白いというか、スカッとするところのはず。
でも、この作品のかぐや姫は、ずっと悩んでいてとても人間的に描かれている。
そしてこの話は、女がぶちあたってへこまされる壁のことがとてもよく描かれている。

かぐや姫が一番自分らしいと思っていたのは子ども時代の自分で、おとなになってからはずっと、心を殺して広い屋敷に息をひそめて暮らしている。子どものころは男も女もなく育ったのに、気が付いたら女としての価値を値踏みされている。
本当の自分ではない自分を好きだと言って、たくさんの男が寄ってくる。
それでも、自分の幸せを願う父親のために我慢しているが、とうとうその我慢も限界に来る。
私は観ていて、かぐや姫は自ら死んじゃうのかなと思ったけど、原作通り月からお迎えが来ていた。
でもあれって、仏様が迎えに来てたもん、ほとんど死んだも同然だよね。
自分で願って月から地球に生まれてきたかぐや姫なのに、何も楽しいことなく、後悔の気持ちがいっぱいのまままた月に帰っていくって、なんてむなしくてつらい話なんだ。
自分らしさを殺して生き続けた女の末路は…と、なんとも暗い気持ちになったのだった。
描き方によっては、かぐや姫は屋敷を抜け出して自立して暮らして…などと話を変えていくこともできるけど、そういうアクションを起こせないまま、原作通りに月に帰っていくのが、逆にリアルな感じがするな。
考えれば考えるほど息が苦しくなる。

古代から伝わるかぐや姫の話は、他の国でも同様の話があるらしい。
昔から伝わってきた物語の枠組みの強度ってのはすごい。
何か人間の、社会の普遍的なものをとらえているんだろうな。