日本人は何を考えてきたのか−第9回大本教 民衆は何を求めたのか〜出口なお、出口王仁三郎 を観た

そういう、私んちのちょっとした歴史を聞いた後、このTV番組を観ました
大本教というのは、戦後雨後の竹の子のようにたくさん生まれた新宗教(新興宗教)に大きな影響を及ぼした、明治に生まれた新宗教の一つです。前から気になってたけど、本を探したり読んだりする気力がなかったので、ちょうどこの番組が観られてよかったです。

なんで大本教に興味があるかというと、それは私の両祖母がとある新宗教の信者だったから。
ちなみに父方の祖母はお祈りで悪いところを治す系、母方の祖母は現世利益と祖先崇拝、世界宗教のいいとこどりな教義系の教団で、別教団です。
一般的に、新宗教といえば、某政党の母体である某教団とか、教祖が最近若い秘書と結婚したという某教団とか、恐ろしい事件を起こしたオウム真理教とか、なんだか胡散臭いイメージが付きまといます。私は子どものころは両祖母から薫陶を受けたわけですが、やっぱり子供は敏感で、おばあちゃんたちが信じている宗教は一般的ではない、ということがわかってしまうのです。仏壇に手を合わせるんだけど、飾ってあるあのお経はなんか様子が違うぞ…とか、あそこに飾ってあるあの写真のおじさんは誰なんだろう…とかいろいろ。
閑話休題。
大本教というのは、信者が増え、全国組織になったこと、本を書いたこと、新聞を作ったこと、著名人や知識人も信徒に入ってきたこと、政治的な影響力を持とうとしたところが、戦後成立した有名どころの宗教のモデルになったんだなーということが番組を観てわかりました。
でも、その教義の根本はやはり、「この貧しさをどうにかしのぎたい」が出発点で、まじめに働いていればいつかは報われるはずだ、ということを信じたいという思いがまずあり、それがなされない世の中の不条理を指摘して終末論的な「立て替え」という考えに至ったのだと理解しています。
この、まじめに働いていれば報われるはずだ、という考え方は、多くの新宗教が採用している考えだと思うのですが、これが近代化とか戦後の復興や経済成長とマッチしたのかなーと思いました。プロテスタントがそのあとの資本主義や産業革命の素地を作ったように…とか考えるのは飛躍しすぎかな。この考え方は大昔からあったはずだし、戦後日本人全員が大本教や類似の宗教に入信したわけじゃないから。
でも、うちの祖母たちの人生を考えると、現代の私たちよりかなり近い距離感で、新宗教は生活の傍らにあったのではないかと思うのです。
私は歴史モノを観たり読んだりするときは大体、その時代の普通の人たちが何を考えてたのか、ということに興味があるので、この番組は興味深かったです。信じることはより感情に近いですし、行動することに結びつきやすいですから、宗教のことを知るのもすごく面白いです。
日本人は無宗教だとよく言われますけど、でも国民性みたいなものがある。その後ろに共通している考えとはなんなのだろうか。
そう考えると、社会情勢と人々の明文化されていない信条みたいなものが反応を起こして、新宗教がぽこぽこと生まれたのかなあ。
今だったら、ライフハックとか、自己啓発本とか花盛りですけど、語られてることは同じような事なのではないかなあとか。
うーん、ぜんぜんまとまってないですけど。これ日記なんでご勘弁ください。