突然間合いを詰められて

職場に行かなくなってはや半月になった。朝は今までより1時間遅く起きている。歯を磨いて顔を洗い、髪の毛を梳く。4月の最初の週に美容院に行くはずだったが、緊急事態宣言が出るか出ないかの時期だったので、急遽取りやめにしてしまった。なんとなくまとまりのない頭になっている。歯を磨きながら、居間の窓を開ける。お湯を沸かす。口をゆすいで服を着替える。この頃は外出はしないので部屋着かしめつけのない服を着ている。お湯を飲み、ヨガをする。掃除機をかける。テーブルを拭く。花に水をやる。夫が起きてくる。夫は起きるなり仕事を始められる人だ。いきなりキーボードをたたくのを横目に大匙3杯分のシリアルを食べる。勤務開始のメールを送る。
在宅勤務が始まって半月なので、チームの人たちが在宅でも仕事が進められるようにできる限りの環境を整えている。チャットが入る。時々LINEの電話が入って来たり、ハングアウトでビデオ通話をする。知っている人の声を聞くとホッとする。でもあまり雑談はできない。問い合わせのメールが来る。少し和むように「家のイスは座りにくいので腰が痛いです」などと近況を書く。
在宅勤務1週目は「早くこの騒動が収まって、またお会いできるといいですね」とメールの最後に書いていた。でも今はそのようには書いていない。もう騒動ではなくなっていると思う。いろいろな情報を集めて、いろいろな人の意見を読みあさり、自分なりに考えるが、これまでの自分の経験が参照できない世界に入っていっている感じがする。
昼ご飯は夫が買いに出かけたり、私が作ったりする(私はものすごく出不精なのだ)。用意ができたら12時台のワイドショーをザッピングしつつ、二人で昼食をとる。
休憩後、仕事を再開する。文章を書く仕事はあまり進まない。ああでもないこうでもないと書いては消ししているとチャットが入る。思考が中断する。腰が痛くなる。コーヒーを淹れる。ヨガのポーズをとる。窓を開けて外を見る。
我が家は幹線道路沿いにあって、窓を開けると排気ガスのにおいがしていた。しかし、最近は車の量が減っているのだろう、においがしなくなった。以前より空気が良くなっているのを感じる。
席に戻って仕事を再開する。西日が入ってくる。気が付くと通勤経路で見えていた光景を思い浮かべている。いつも乗る電車、決まって通る駅の構内のルート、早く帰れた日はルミネに寄ったりしていたな。ルミネに寄ったらスタバの前を通るんだよな。いつも混んでるからあまり入らなかったけど。
これまではコーヒーを帰りに飲んだり、蕎麦屋に寄ったりできた。だけどこれからは?
ワクチンができるまで1年、接種までこぎつけるまで最短2年。
2年後にルミネはあるんだろうか。残業後に寄った蕎麦屋はまだあるんだろうか。毎朝腹立たしかった東京の雑踏は今後も残るのだろうか、カフェの人の中に自分を埋没させる経験を私はまた持てるのだろうか。
そういうことを頭のどこかで考えながら、報告書の文章を考える。コロナ以前の世界のことをまとめているが、もうこの知見は古いんだろうな。
失われつつあるこれまでのことについて感傷に浸っている今だが、未来から見ればのんきな話になるのかもしれない。この第一波が収まっても、警戒を緩めれば第二波はやってくるという。私は運を常に試されている。感染、医療崩壊、不況、政情不安、なんの影響を受けるかわからない。どんな喪失があるのかわからない。自分は非常に脆弱な存在だと思う。何でもありの世の中でこれまで通りの自分を保っていられるのだろうか。
気づくともう終業の時間になっている。とりあえず終業報告のメールを送る。冷蔵庫には何が入っていたかな。晩御飯を作らなくては…