愚者への道

思うに、人生で一番、生病老死について考えていたのは、子どものころだった気がします。


宗教について、哲学について、精一杯考え抜いたころがありました。
あのころがもっとも立派で精神性が高かった。今から考えたら、小さな賢者でした。


しかし、人間としての経験と知識を積み重ねるにつれて、段々昔のようなことを考えられなくなってきました。
生きやすくなってきました。
息をするのも辛くない。
人と話しても辛くない。
しかし、寂しいです。
冴え渡るあの感じが、どんどん失われていっていることは分かります。
今後取り戻せるかは不明です。
本当に寂しい。


たしか、中学生ぐらいだったと思うのですが、強く念じたことがありました。


「大人になったら子どものころのことを忘れてしまうという。
でも、私は忘れたくない。
どうか、今のこの気持ちや考えていることを忘れないでいて!!」


あのころの私よ、ごめんなさい。あっさり忘れちゃったよ・・・。
でも、念じたことだけは今も憶えています。
ああ、それにしても、肝心の内容はなんだったか・・・。


失うことはいつも寂しいです。
変わってしまうことは恐ろしいです。
『大丈夫、きっと新しい何かがつかめるはずだよ』
それは単なる期待であって、そんな保障はどこにもありません。


失ったものを追いかけたい気持ちはある。
でも、もうそれは叶わないことです。
どうやらもう、変わってしまったのです。


よく知られていることですが、脳の細胞は、赤ん坊として生まれたころが一番数が多く、その後どのような環境で育つかによって、残る部分と必要なくなる部分が出てきて、全体の数はどんどん減っていくそうです。
(一部分は新しく生まれるところもあるそうですが。)


今後もどんどん失うでしょう。
そのせいで、もっと分からなくなってしまうと思う。
しかし、ひとつ自分に期待するとしたら。
なくなって、わからなくなることを、「身軽になった」と受け入れるような、しなやかさのようなものが、私に備わっていればいいなと思います。

秋だから?

なんか急にこういうことを考えてしまったのです。秋だから?